2018年1月3日から4日 —危機再び—
*一時的に解放方向へ?*
CCUから4人部屋へ
この日病棟へ移動し、4人部屋へ。尿の管は抜けました。酸素吸入量は8L。SPO2は90台を下から上まで。この辺りの時間経緯も本人わかっておらず、日付が曖昧なままです。
何とか命は繋がれました。
*また、悪夢か*
個室へ移動し臨戦態勢を整える
しかし、何とか過ごしたこの日、段々と発熱。酸素の吸入量も10L
へ。再度尿の管を挿入して出来るだけ動かないような安静状態へ。夕方、このままでは危険と個室へ移動。夜間は落ち着いていたものの朝から噎せたのをきっかけに血中酸素濃度は下がる一方です。酸素吸入量も12Lと酷い状況です。
人工呼吸直前残るは挿管?
熱はフィードバック制御でもしているかのように38.8度で安定。さらに酸素吸入量を増やす為、人工呼吸器に使うような装置で50L・70%と言う酸素吸入を鼻から始めました。
この指示を出してくれた医師は
「もしこれでもダメなら人工呼吸器を使います。」
自分は
「挿管するという事ですか?」
医師「そうなります。」
そんな!意識があるまま挿管したらつらすぎる!と思い、何とかこの状態で良い方向に持って行かなきゃと必死になりました。
ブラフ
ただし、実はその前段階でバイパップという強制換気装置(人工呼吸器の一種)を使用する方法が残されていました。ただし、後述の様にかなり辛い装置です。この医師はバイパップ使用になる事を想定して、より大変なことになるから、辛いバイパップ装着でもまだ頑張ろうという意識を植え付けるために大げさな発言をしたのだと解釈しています。
*いよいよ悪化の一途*
バイパップ登場
夜間になり、酸素飽和濃度がドンドン落ち始め70%程度。
私の個室は医師3名、看護師4名が慌ただしく出入りしています。
バイパップによる人工呼吸器での強制的な呼吸に変わりました。これは確かに辛かった。
地獄
しっかり密着するマスクをつけた状態で、患者の呼吸を感知して強制的に吸入排出方向へ換気されます。マスクは密着して頭や鼻が痛い。ちょっとでも呼吸を乱すと警報音が鳴り響く。その警報音がお気楽な大きな音です。余計にイライラが募り、マスクの中で思わず罵ってしまう。するとそれを感知しまた警報音が鳴動し、とエンドレスです。たまりません。シーメンス製ですが、設計者に一晩装着して過ごせたいと本気で思いました。
イライラは募るばかり
ここまで一気に書いていますが、酸素の吸入量の増加、入院4日目でも原因の特定ができず、悪くなる一方の病状。実際に肺の画像は白さを増しているとの事。不安とイライラは募るばかり。さらに夜勤帯当番の看護師がまだ経験の浅い看護師で不安を募らせるばかりの行動が散見され余計に当方のイライラは増大し限度を超えつつあります。この時点まで使えないと思っていたアイフォーンの運用ができそうなことがわかり、少しイライラの曲線グラフは傾きが穏やかになってきました。
*戦友A看護師に救われた!*
昼夜連続勤務
そんな中、日勤から夜勤まで対応して頂いたA看護師が凄かった。当日A看護師は日勤帯の当番でしたが自分の状況の為か、夜勤帯もそのまま残っていました。そのA看護師にイライラをぶつけるような発言をした自分に対してしっかりと受け止めて正しい方向性や医師への報告をして少しでも苦痛をとる努力をして自分を納得させてくれたのです。A看護師には感謝しかありません。
見事なハンドリング
苦痛を訴える私の状況を理解し医師に機器の調整を依頼してくださり、警報がなる事がほぼなくなってました。これにより素直な気持ちでこの状況を受け入れることが出来るようになりました。心細くなる患者を気遣いつつも、暴走させない素晴らしいハンドリングです。
*看護師の本質とは*
自分はこの看護師を心より尊敬します。
状態が悪くなる一方の患者を眼前にして、何とか患者の苦痛を取り除く為、そして落ち着かせる為、懸命に考えて行動してくださった。末期ガン等で想定される病状悪化ではなく急激な変化が起きている状態です。看護師をしていても、それほど多く経験する場面では無いのかもしれません。
看護師の役目は本当に大切!重篤な病態にある患者が一番必要とするのは患者の心に寄り添う看護
今回の入院では様々なタイプの看護師にお世話になりましたが、本当に看護師の威力を見せつけられました。12年前の狭心症の時は医療技術の進歩に救われた印象が強かったのですが、今回のような肺炎という原始的かつ重篤な病態にある患者が一番必要とするのは患者の心に寄り添う看護です。(このような表現は教科書的な軽い記述として読み飛ばしがちですが、実際の経験からの発言です。もし看護師を目指す人、または、経験の浅い看護師の方が見ておられるなら、重く受け止めてほしい言葉です。と言っても経験に勝る学習はありませんが。)
改めて妻の職業を理解した
初めて、妻の職業でもある看護師という職業が待つ本質を体験した気がしました。
もちろん、このA看護師の仕事はプロ中のプロの仕事でした。でもきっと彼女も必死ギリギリの状況だったのでは無いでしょうか?それは、私にはわかりませんが、そんな気がします。
いずれにしても、私の中では逃げずに一緒に戦ってくれた戦友のイメージです。